イケダハヤトさん(@iHayato)が記事で、「貧乏=自由」についてどう思うか問うていたので、ぼくの考えを書きます。
貧乏=自由 | ihayato.news
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「貧乏=自由」と、これだけを見ると、すごく誤解を生みそうなので、ぜひ元記事をあたってもらいたいと思います。
お金のために働く→時間がない!というジレンマ
多くの人は、少しでも給料を得るためにバリバリ働きます。時には残業をして、休日出勤もして、 より多くの賃金を得ようとします。
しかしその結果、遊ぶ時間や趣味に費やす時間、やりがいを感じることに当てる時間がどんどん減っていきます。
私は、これは「本末転倒」というか「意味ないな」と感じてしまいます。
また、今読みかけの本には、給料というのは「努力量」や「成果」で決まるものではないと書かれています。(これは本筋からズレるので書評でまとめます。)
■必要以上のお金を稼ぐのに、無理しすぎ
重い苦痛に耐えてささやかな余剰利益を得るくらいなら、いっそ「150万円だけ稼げば生きていける」と割り切って、会社を辞めるなり、転職してしまう方が僕は賢いと思います。
つまり、「数百万のために激しい労働」よりも「必要最低資金のために軽い労働」をする方がはるかに「自由度」が高いということです。そして、「必要最低資金」が低ければ低いほど、「稼ぐ」ということに執着しなくてもよく、その分「お金にならないけど価値のある仕事」「本当にやりたいこと」に時間をさけるというのです。
だから「貧乏=自由」なんですね。スゴく共感できます。
■貧乏=我慢、苦痛ではない。
ここでいう「貧乏」は欲しいものを我慢して我慢して、とかお腹がすいているけどパン1枚で・・・といった「修行的」なものではないと思います。
あくまで、無理なく自然に生活できる最低のお金という意味だと思います。そして、それが安ければ安いほど自由度が高い。
非常に批判も呼びそうなテーマですが、キリキリ働くよりは、こういう生活の方が憧れたりします。これは好き嫌いの問題なのでバリバリ働きたい人は働けばいい。
ただ、イケダさんがこんなにもはっきり「これだけあれば生活していける」と言えるのは、自分に必要なお金をこれまでの経験から正確に分析できているからだと思います。簡単な話、家計簿などをつけて「何にいくらかかるか」を把握しているんだと思います。
はっきり言ってこれが基本。ここができていない段階で「甘過ぎ」とか「理想論」とか言うのは少し「おいおいまずは土俵に上がってくれよ」と言わざるを得ない段階です。
(そんな意見を聞いたわけではないですが汗)
「年収6割でも週休4日」という生き方 | ||||
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僕たちはいつまでこんな働き方を続けるのか? (星海社新書) | ||||
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